読書: 世界は贈与でできている 近内悠太

お金で買えないもの(交換対象にならないもの)とは何か?それは贈与である。
贈与は、不合理(anomary)なものとして出現する。
例えば、友人からもらった服は(贈与)、交換可能な単なる服ではなく、そこに想いや気持ちが入っているが故に、簡単に捨てれないし、譲るなどの処分も難しい。
例えば、親からの愛は、ただ与えられるものであり合理的ではないから、時に重荷に思ったり、不安になったりする。
「贈与」とは、そのお返しがあることで、人と人を繋ぐ。そういう意味で、資本主義、貨幣を通じた交換(売買)という温もりのない合理的な活動が主たる社会において、人生に必要な物とも言える。また、贈与は、それを受け取ったものが、それをまた誰かに贈与する、という形でつながっていく。
また、贈与はその見返りを期待した時点で、それは贈与ではなく、「交換」となる。自分勝手な親の愛が、その子供にとって苦痛なのは、その愛が、贈与のふりをしてるくせに、実は「交換」であり、「愛(贈与)」ではないということを子供が感じ取ってしまう、という点にある。
それと同時に、贈与は、それを受けたものに負い目(受け取ってしまった、という)を感じさせる。自分勝手な親から、愛(見返りを期待された)を受けたときに、その子供が苦しいのは、その負い目を感じていつつ、また、それが愛でもない(交換ではないか?)という疑念も抑えられないゆえに、自分を責めてしまう、という点にある。
 
常識(世界像)は、何かを疑うための番のようなもので、それが確固としてなければ、疑うこともできない。つまり、何がnormalかを知っているからこそ、anormaryが見える。科学技術史がそれを教えてくれる。
社会の安定は、「本当にこれは当たり前か?」と考えたときに、それが無数のanormaryに支えられていることに気づく。その無数のanormaryとは、unsung heroからの贈与である。見知らぬ、多数のunsung heroがいたこと・いることによって、この安定した社会はなりたっている、そこに気づくことが、「この世界と出会いなおす」ことになる。
例えば、上下水道、交通システム、電気の発明、石油の発掘から精製から輸送などなど。どれもが、誰かが発明して、誰かが作って、誰かがメンテナンスしてくれているもの。それらの奇跡的な贈与の積み重ねに気づくには、想像力が必要だ。
 
我々は、それらの贈与に気づくことで、また贈与を与える側に回る。そして、贈与すること(贈与すべき相手がいること、それをやるべきだと思えること、贈与を受けたことを理解したこと)から、やりがいや生きがいは生まれるのではないか。
 
哲学は、世界の枠組みを作りあげる作業。
この著者は、この本によって、生きた哲学とはどういうものかを教えてくれる。
自分で世界を理解しなおすことによって、世界と新たに出会える、それは哲学の力だ。

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