読書:「自己啓発病」社会 宮崎学 祥伝社新書

「自助論」(西国立志編)は、ヨーロッパ近代がまだ若々しい時代に、自助努力で社会の発展をもたらす、という時代の躍動を記した本である。しかし、まず日本には本当の意味での近代化はなく、村共同社会の上に、自由、平等等の価値観を上塗りしただけであり、封建的社会を壊した上での個人的自由と独立をベースにしたものではない。「末は博士か大臣か」という言葉が表している様に、個人がそれを願っているというよりも、そこには村社会の願望が現れている。
近年になって、自助論が受け入れられているのは、新自由主義によって、自助と共助の「共助」が切り捨てられた社会にあって、自分で成功しなければ、という不安が蔓延しているからであって、そこにあるのは本来の自助論から外れた、セルフィッシュな成功願望である。
しかし、今後はそれはなくなるだろう。
現代資本主義社会では、勤勉、忍耐が成功をもたらさない。それをもたらすのは、才覚、俊敏さ、ネットワーク、大胆さ、などであるのだから。
筆者は、「では今後、勤勉忍耐に変わる何を指針に生きれば良いのか」という問いには答えていないが、おそらくそれは「好きなことやっていけば?」ということになるのかもしれない。

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